某チャット参加者様の体験談をかなり誇張・脚色の上でお届けします。

お題:「電車格納庫内で一晩」


真っ暗な空間と開かない扉を前にして、「ドジっちゃったわねぇ」とメイコが呟いた。
「本当だねぇ」と僕も呟き、天井からぶら下がった吊革を弾いて揺らした。
倉庫内の常夜灯の明かりをほんの僅かに反射して、樹脂製の持ち手が白く浮かび上がる。
あと識別できるものと言えば、銀色の手すりと壁面に並ぶ窓、それにメイコの横顔の輪郭くらいだろうか。
はぁ、と溜息を吐いて、持っていたビニール製のナップサックを放り投げた。
きちんと座席の上に乗ってくれたらしいそれがボスッと重い音をたてるのは、中身が濡れた水着とタオルだからだ。

今日はメイコと二人で海に行った。二人っきりで。
楽しみ過ぎて眠れなかった昨晩、弁当を作ろうかとはりきってキッチンに向かえば既にそこにはメイコがいて、揃って顔を赤くした早朝、街並みからきらめく海原へと景色を変えていく車窓、太陽と潮風が心地よかった浜辺、何より、青く透き通った海水に身を浸す心地よさ。
そして珊瑚色のビキニがそれはそれは良く似合っていたメイコ。
つまり僕らは浮かれていたわけで、そのはしゃぎっぷりのツケは日が暮れる頃にやってきた。

僕達がいるのは電車の中で、この車両はどこかの建物の中に格納されている。
十中八九、車庫なのだろう。
本日の役目を終えた列車が静かに朝を待つ所。
当然車内の電源は落ちている。
照明はつかないし、ドアも開かない。
気密性と断熱性に優れた構造なのだろうか、大して暑くないのが救いだった。
そもそも梅雨が明けたばかりのこの時期は、夜ともなれば肌寒いくらいなのだし。

「まさか寝過ごすなんてね。しかも終着駅すら通り越して、車庫までだなんて」
「車掌さんも気付かなかったんだね」
「非常口、どこかになかったかしら」
「あるだろうけど、多分この車庫自体の扉は開けられないんじゃないかな」
「そうよねぇ。泥棒扱いされるのも面倒だしねぇ」

交わす会話がどこまでも暢気なのは、このハプニングもまた「二人で海」の延長だと認識しているせいだろう。
家に帰るまでが海水浴。
列車内に閉じこめられた僕達は、つまりはまだ楽しい遠出の真っ最中なのだ。

「諦めてここで一晩明かしましょうか。始発で帰れるのは間違いないわ」
「もう乗ってるもんね。まぁ、泥棒扱いされるより、マヌケなバカップル扱いされる方がマシかな」
「カップル言わない」
「変な所で照れない」
「うるっさいなもう。あたしは寝るからね。水に入って疲れてるんだから」

あーはいはいお休みなさい!
ぞんざいな態度は照れ隠しにしてもわかりやすすぎる。
苦笑した僕は、サンダルを脱ぎ終えたらしい彼女の隣に座って華奢な上半身を抱え込むと、そのまま布張りの座席に横たわった。
先程放り投げたナップサックが背中に当たったので、頭の後ろにねじ込んで枕にする。
胸の辺りで「ちょっと、いきなり何すんの」という抗議の声。可愛い。

「ん? 僕はベッド代わり。めーちゃんはブランケット代わり」
「あたしには掛ける物ナシなの」
「え、僕の両腕だけじゃ不満? 仕方ないなぁ、体ごと上から覆い被さって……」
「いらない。重いし」
「“寝る”の趣旨がずれるし?」
「ずらしたら承知しないわよ、こんな所で!」

真っ赤になっている筈の顔を見られないのが残念だ。
冗談だよと言って背中をぽんぽん叩くと、メイコはやや警戒しながらも、僕の胸に体を預けてくれた。
落ちないように抱き締めて、力が抜けるのを待つ。
柔らかな体温がくたりと密着するまで。

当然と言えば当然だが、今まで電車なんて稼働している所しか見たことがない。
例えホームに停車している時だって、何かしらの音を発している姿しか知らなかった。
それが夜中、自分達の寝床では、こんなにも完全に沈黙するものなのだ。
なんだか不思議な感じがして、僕はじっと耳を澄ませていた。
あの規則正しい振動が伝わってきやしないかと。
声を出さずに暗い天井を見上げていると、ふと鼻腔を磯の香りが擽る。

「……なんだか海の底にいるみたい」

泡のようなメイコの声。
僕も同じことを思った。
しん、と静かな場所にいると、聴覚が記憶の引き出しを開けて、様々な音を甦らせていく。
僅かな音を拾っては、別の音に変換していく。
重なる心音は海原のうねり、血流の音は潮騒。
互いの体に染みついた潮の匂いがそう思わせるのだろうか。

「こうしてるとさ、電車の音も聞こえる気がしない?」

さっき考えていたことを伝えてみると、する、と笑いと眠さを含んだ応えが返る。
その返答に気を良くして、僕はメイコの髪を撫でた。

波音とともに、昼間聞いた列車の揺れる音が脳内で再生される気がする。
今この空間には、今日一日の思い出がいっぱいに満ちている。

「あたし達、きっと夢の中でも海に向かってるんだわ……」

語尾を寝息にぼやけさせて、メイコは僕の内心を代弁してくれた。
その髪をもう一度そっと撫でて、僕も眠りに落ちていく。
耳の奥で優しく響く、線路を走る電車と波の音を聞きながら。

HOMETEXT
 
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