ヒーローの舞台裏(前編)


撮影が終わったのは午後3時を過ぎた頃だった。二月の太陽は、早くも退場の準備をし始めている。
大学のキャンパスを吹き抜けていく風が冷たくて、オレは着込んでいるベンチコートの襟に顔を埋めた。
寒い。
なんたって、この下は収録用の衣装のままなのだ。
早く着替えようと、クラブハウスのある方向へ向かって足を早める。
途中で「レンく〜ん!」と黄色い声をかけられ、ひきつった笑顔で手を振り返した。
視聴者獲得のため、できるだけ愛想良くしろと指導されている。
3人ほど連れだったオネエサマ方は、きゃ〜カワイイ! と叫ぶと、バタバタと走り去ってしまった。
一連のやりとりにはもう慣れた。
ここは大学。オレは中学生。イヤでも目立つし、からかわれる。
疲労感に重くなる足を、クラブハウスの中でも特に狭い一室へ向ける。
そこが、オレ達『鏡音新戦記レオネス』制作サークルに割り当てられた部室だった。

「だからさぁ、あたしならわざわざ名前書き込んで40秒待つなんてまだるっこしいことしないってば」
「じゃあノートは使わないんだ?」
「使うわよ。端っこ掴んで角の部分でスコーンって」
「直接的すぎるでしょ、それは」
「物理攻撃バンザイ!」
「あんたら何の話してんだよ……」

ドアを開けた途端飛び込んできた会話に、オレは膝を着かんばかりに脱力した。
パイプ椅子にふんぞり返った茶髪の女と、その向かいでアイスをぱくついている猫背の男が、遠慮無しに疲労を上乗せしてくる。
繰り返すが、時刻は午後3時。中学生がパワー切れを起こすには早すぎる時間帯だ。


「レン、お疲れー。ねぇ、あんたも協力してくれない? 今日はもう収録終わってヒマなんでしょ?」
「協力って何にだよ。死神と契約したりしねーぞ。そういうのはもっと有名になってからやれ」

こんなネット配信がやっとの不毛な自主制作特撮じゃなくてな!
乱暴にベンチコートを脱ぎながら言うと、丸めた台本で頭を殴られた。ぱこんと間の抜けた音がする。

「何すんだよダメイコ!」
「あんたこそ何言ってんのよヘタレン! 仮にも自分が主役の作品を卑下して」
「まーまー、二人とも落ち着いて」
「「バカイトは黙ってろ」」
「はい……」

青い髪の男は猫背を更に縮こまらせて返事をした。
情けない。全くもって情けない。
これでもこいつは『レオネス』の司令官役なのだ。
配役上やむをえないこととはいえ、こんなのに命令されなければならないのは不本意の極みだった。

「と・に・か・く、作品には誇りを持ちなさい。あたし達役者はもちろん、裏方担当してくれてる他学部や別サークルの有志だって、全身全霊で取り組んでるんだからね!」
「わかったよ悪かったよ!」

耳を引っ張られて、オレは慌てて謝った。
メイコの叱責は口と一緒に手が出る。そしてエスカレートする。
別に、ゲンコツを見舞われるくらいなら構わないのだが、問題はエスカレートの方向だ。
こないだちょっとしたことで口答えした時は、8割方本気のスリーパーホールドを食らった。
体格差の関係で、オレの後頭部はメイコの胸に押しつけられ……これ以上思い出すのは危険だ。

「で、何してたわけ? つかそのノート何?」

メイコの手元には、あの訳のわからない雑談の引き金に違いない、黒いノートがあった。
ページにはびっしりと名前が書き込まれている。本物なら大量虐殺だ。
ある名前は斜線で消され、ある名前はマーカーでラインが引かれ、ある名前は丸で囲まれている。

「めーちゃんは、『仮面の男』の正体が知りたいんだってさ」
「あぁ? まだ言ってんのかよ」

溜息をついたオレを、メイコが膨れっ面で睨む。

「だって気になるんだもの」

『仮面の男』はオレ達と同じ、『レオネス』の登場人物だ。
主人公側の危機に駆けつけ、助太刀しては去っていく。
ただし、監督の意向で誰が演じているのかオレ達すら知らない。
視聴者を騙すにはまず出演者から。
正体が判らない緊張感をリアルに演出するためだと説明され、皆が納得した。一人を除いて。

「レン達はいいわよ。殆ど絡み無いし、共演ったって遠景で殺陣やるのがせいぜいでしょ。でも、あたしは同一フレームで接触したりするのよ。呼吸が合わせ辛いったらないわ」

さっきオレの頭を叩いた台本のページをめくり、マーカーの引かれた部分を示してくる。
そこには数ページに渡り、『メイコ中尉』と『仮面の男』との共演場面が描かれていた。

「配役と脚本の関係で、どうしてもめーちゃんと『仮面の男』の遭遇が多くなるんだよねぇ」

同じページを覗き込みながら、のほほんとした口調でカイトが言う。
奴の指摘する通り、メイコと『仮面の男』との共演シーンが多くなるのは必然と言えた。
オレとリン、そしてミクは、基本的に『レオネス』に乗るか3人で行動しているかの二択。つまり、操縦席に一人でいるか、ピンチに陥ったとしても3人で力を 合わせて脱出するか、というのがお決まりの行動パターンなのだ。一応子供向けの特撮なので、ある程度の「お約束」はどうしても必要になる。
カイトは司令官。全員に向かって指示を出す時以外は、作戦室に控えているのが定位置だ。
一対一で他のキャラと絡むことはまず無い。例外は『メイコ中尉』くらいだ。
その『メイコ中尉』は司令官の右腕で、オレ達3人の良きお姉さん的存在だった。
オレ達を時に叱り、時に励まし、時に守ってくれる役どころ。
情報収集に優れ、敵地に潜入したり、囮になったりもする。
イコール、単独行動と、それに比例して一人で危険に直面する場面が増えるのだ。
そこに登場するのが---

「そう。あたしの身が危険に晒される度、『仮面の男』が現れるのよ」

という訳なのだった。

「オイシイよねー、窮地のめーちゃんを颯爽と助けて去っていくなんてさぁ」

備え付けの冷蔵庫からいつの間に取り出したやら、新たなカップ入りアイスを口に運びつつカイト。
こいつの言う通り、主人公側に一方的に恩を着せる形の『仮面の男』は、『レオネス』を配信しているネットコンテンツの感想掲示板でも上々の評価を得ている。役者が判らないミステリアスさと相まって、ヤツが登場した回では話題をかっさらわれる始末だ。

(主人公はオレだっつーの!)

内心面白くはない。
さっきはメイコに注意されてしまったが、『レオネス』に対して真剣なのはオレだって同じなのだ。
軽い好奇心から参加した大学のサークル企画。でも今では、何かを一から作り上げる楽しさにすっかりハマっていた。

「顔や名前を出したくないっていう意向の参加者は他にもいるわ。だから、『仮面の男』にカメラの前で顔を晒せなんて言わない。彼のプライバシーを暴きたい訳でもない。ただねぇ、台詞すら喋ってくれないのは流石に困るのよ」

メイコの言葉に、オレは数週間前の撮影を思い出した。
『メイコ中尉』と、彼女を助けに来た『仮面の男』の間で、短い会話が交わされるという場面があった。が、その男は一言も喋らなかったのだ。
もちろん、そのことについては監督から事前に説明があった。
問題は男の台詞のアフレコだ。
なんと、奴の声はメイコがあてることになった。
本人は声の収録拒否、場の空気を把握しているのは競演者の『メイコ中尉』しかいない、という理由で。
了承し、アテレコをこなしたものの、メイコはうんざりした空気を隠さなかった。

「ボイスチェンジャーを使う設定だから問題ないって言われてもね。だったら最初から本人が喋ったって良いと思わない? 仮面の内側に機械を仕込んで」
「きっと発声に自信がないんだよ。カメラの前で演技するのは平気でも、声は出せないタイプとか」

スプーンをぴこぴこ上下させながらカイトが言う。それにメイコも同意した。

「あたしもそう思う。それで考えたのよ。まず、『仮面の男』は高い身体能力を持っている。殺陣はお手のものだし、動きは身軽だし、あたしを抱えて悠々と歩 くこともできる。そして、さっき言ったように、声を出す演技はやらない、あるいは出来ない。以上のことから考え併せて、あたしは『仮面の男』の正体はスタ ントマンじゃないかって思ってる。しかも若手か、もしかしたら志望してるだけで本業にはなってない人間。ほぼノーギャラの『レオネス』に参加するくらいだ からね」
「場数を踏むために演じてる、って感じ?」
「そういうこと」

二人の会話に、オレはいつのまにか聞き入っていた。
メイコの推測は的を射ているように感じたし、今のままでは困るという意見にも同意できる。

「確か、『仮面の男』は最終回まで出張るんだよな?」
「その予定らしいわ」

オレ主演(一応)の作品の中で悪目立ちする正体不明の男。
そいつに制作の段階で一手間かけさせられるのは、ちょっとだけ面白くない。
なんせ自主制作。ただでさえ人手も時間も足りない現場なのだ。

「別にシメてやろうってんじゃないんだろ?」
「当たり前よ。ただ、下手でも棒でも良いから台詞を喋って欲しいだけ。それがどうしても無理なら、アフレコに協力して貰いたいのよ。口を開くのと動作のタイミングを合わせられるよう、打ち合わせしたいの」
「で、頼み込もうにも、リハーサル直前にしか現れないわ、出番が終わったらすぐに消えるわで、会話すらままならないんだよね。そこで」
「『仮面の男』捕獲作戦か」
「そういうこと! だからあんたも手伝ってよ」

バナナミルクの入ったコップを差し出しながらの申し出に、オレは頷いてそれを受け取った。
別に、メイコ特製バナナミルクの味に釣られた訳ではない。
単純に楽しそうだと思ったのだ。

「よっしゃ、協力してやる。で? 何から始めんの?」
「そうこなくっちゃ! あのね、今はカイトと二人で、近辺で活動中のスタントマンをリストアップしてたの」
「活動スケジュールも調べられるだけ調べてね」

ちなみに、この情報は『レオネス』出演依頼を打診するのに使うという名目で集めたらしい。というか、本来はそちらが主目的なのだろう。

「で、こっちは特撮やドラマの撮影所の使用状況」
「すっげ、こんなもんまで」
「というか、これも『レオネス』用なんだけど」
「あ、こっちの撮影所にオレ達の名前がある!」
「感慨深いよねぇ。こういう場所を借りられるくらいになったってことだから」
「頑張ったもの。レン達が参加してくれたおかげで、作品の幅も広がったしね」
「前は真面目になりすぎるか、お色気ギャグに走るかの両極端だったもんね。去年の文化祭なんか」
「その話はやめなさいねカイト君」
「いたたたたたたた、わかっ、めーちゃ、わかったから関節キメないで痛い!」

地声より2オクターブは高い悲鳴をあげる青いのを余所に、オレはノートに目を落とした。
メイコが目をつけた若手スタントマンのスケジュールと、『レオネス』の撮影日が被らないかチェックした跡がある。
良くここまで調べたものだ。

「今はリンとミクの撮影が始まった頃だな」

ノートの一番新しいページには、今月の収録予定表が貼ってある。
今日のリンとミクは、オレとは逆に街中での収録。
本当はメイコも参加する筈だったのだが、監督であるルカから指定された「お姉様用新コスチューム♪」を街中で着るのはちょっと、という理由で辞退したらしい。
出演を断られたルカは、「お姉様がいらっしゃらないのは残念ですが、可愛らしい方達が睦み合う様を思う存分堪能できるのですから我慢しますわ。けれどいつか……フフフ」とアヤしい笑みを浮かべていた。
愛用の巨大なマイク付きビデオカメラ『綱一号(愛称ツナ。側面に『網』というステッカーが貼ってあるが、それは『つな』じゃなく『あみ』だと誰もツッコめない)』を、戦友を労るような手つきで撫でながら。一体どんな服だったんだろう。
確かストーリーの流れからして、私服でオフを満喫していた二人の前に敵が現れる、という場面の筈だ。
今回の話は通常とは違い、主人公達の日常生活部分が主の、いわばファンサービス。
ちゃんとやってんのかなぁと、お調子者の双子の姉を思い浮かべた時だった。

「あれ、レンの携帯?」

会議机の隅に丸めたベンチコートをカイトが指さす。
ポケット部分に入れっぱなしだった携帯が、マナーモードで振動していた。
慌てて引っ張りだすと、着信はリン。

(なんだ? 今撮影中じゃないのか?)

不審に思いながら出てみると、もしもしと言い終わらないうちに片割れの声が耳を叩く。

「レン? 今どこ?」
「大学だよ。部室」
「そこにミクちゃんいない?」
「いねーよ。いるのはめーことバカイト。つか、ミクはお前と撮影じゃなかったのかよ。来てねーの?」
「来てない! どうしたんだろ、連絡もないんだよ。おかしいよね?」

おかしい。
ミクはメイコに心酔しているし、メイコが手がける『レオネス』に傾倒している。
そのミクが撮影をサボる、しかも無断で、なんてことはありえない。
会話からミクの所在が掴めないことは伝わったらしく、メイコとカイトが眉根を寄せてこちらを見ている。
と、メイコの携帯にも着信があったようで、心配そうな視線はそのままに電話に出た。
オレも、とにかくリンとの話に集中する。

「ミクの携帯は?」
「かけたけど出ないの」
「家にいるんじゃねーの?」
「ううん、30分くらい前に、もうすぐ着くから駅で待ち合わせようってメール貰ったから、それはない。いつまで待っても来ないから現場にいるのかと思ったんだけど、こっちにも来てないし」

代わって、と傍らからカイトが手を伸ばす。
携帯を渡すと、「とにかく機材は一旦撤収して、近くで待機して」とリンを通して指示を伝えているようだった。

「リンちゃんも温かくして連絡を待ってて。事情によっては、今日の撮影は無理かもしれないけど」

でも、今日中に撮らないと編集が間に合わないんでしょ? という声が携帯から漏れ聞こえた。

「大丈夫だよ、場合によっては脚本を変更したりして対応できるし。リンちゃんは心配しないで。監督は?」

リンを宥めたカイトは、ルカに替わるよう頼んだ。
切れ切れに聞こえる声から察するに、脚本の変更や、最悪アップロードの延期も含めて話をしているらしい。
『レオネス』は撮影監督兼脚本のルカがシナリオを作り、被服科、美術科、映像科それぞれの有志が、衣装や小道具大道具、それに映像の加工を担当している。
各々授業や課題やアルバイトを抱えている中で、その合間を縫って作っている作品なのだ。
当然スケジュールはタイトで、〆切は絶対だ。一つがズレたら全てがズレる。
いや、学生が個人的に作っている物なのだからズレても構わないのだろう。本来ならば。

「いや、予定通りに発表することに意味があるのはわかってる。プロになる足がかりにするために参加してる連中も多いし……うん。うん、そっちは平気」

プロへの足がかり。そう、『レオネス』のエンドクレジットには、スタッフの実名やハンドルネームが載せてある。
それはこの作品が個人の才能を発表するための場だからだ。
〆切に従い、一定のクオリティの作品をコンスタントに生み出す。その実力を持った人間がここにいる、というアピールの一環として、多くの人間が協力してくれている。
それを、勝手な事情でぶち壊しにはできない。
ミクだってそれは良くわかっている。
そのミクが連絡もなしに撮影に遅れるなんて、何かあったとしか思えない。
嫌な汗が出てきて、オレは慌てて額を拭った。

「とにかく待ってて。ミクちゃんの所在が掴めないことには何とも。……そうだね、事故や急病じゃなきゃいいけど」
「事故でも急病でもないわ。非常事態には変わりないかもしれないけど」

その声に、オレは振り返った。
カイトも話をやめてメイコの方を向く。
メイコの表情は、声と同じくらい硬い。

「めーちゃん? もしかして、その電話ミクちゃんから?」

メイコの携帯はその手に握りしめられている。反対側の手で、送話口を押さえられて。
こちらの声が届かないようにしたまま、メイコはこちらに携帯を差し出した。
オレとカイトが耳を寄せる。
届いたのは、遠くで行われている会話をなんとか拾っているような、聞き取りづらい声だった。

「……たし、もう帰ら……といけな……」
「そんなカタ……こと言わ……」

おびえているような困ったようなミクの声と、知らない男の軽薄なダミ声。

「なんだよこれ!」
「しっ! 静かにして」

思わず大声を上げた俺を鋭く制し、メイコの爪先がトントン、トントン、と、一定のリズムで送話口を叩き始めた。
そうやってしばらく経過した頃、携帯の向こうから、くぐもった音が聞こえた。
布越しに固い物を叩くような音が2回。メイコのそれと同じリズムで。
合図だったのだろう、その音を境に、ミクの声が多少大きくなる。

「確かに、お誘いは魅力的です〜。私も、こんな大手で仕事したいと思ってて。……やぁだ、ネットで話題の美少女なんて! 私なんかまだまだです。こんな大 きな製作所でやってく自信ないですし。……ん〜、どうしよっかなぁ。ほら、今日も結局撮影すっぽかしちゃってる訳ですし。……ええ、しょせん自主制作と言 われればそうなんですけど」

わざとらしい程の猫撫声が、ミクの置かれた状況を伝える。
お誘い。大きな製作所。しょせん自主制作。そして、さっき聞こえたダミ声。

「勧誘受けてるんだね。それもかなり粘着気味に」

常にない真剣な声音でカイトが言う。
メイコはそれに頷き、オレは全聴力を携帯の音声に集中させた。

「でも、本当にすごいですよね、この撮影所! こんな専用施設で私も演じてみたいなぁ。こちらに所属するようになれば、こないだみたいにわざわざ交渉しに来る必要もなくなるんですよね」

ミクのその言葉に、メイコが弾かれたように身を翻した。
向かった先には例のノートがある。
すごい勢いでページをめくった手が、ある場所にバン! と叩きつけられた。

「カイト、ルカに伝えて。ミクが拉致された。居場所と攫った相手は見当がつくって」




『仮面の男』包囲網に、ミクを拉致した連中が引っかかった。
要約すればそういうことだ。
ミクが普通の会話に見せかけて流した情報の断片を、大学生二人はあっという間に繋ぎ合わせ、組み立てていく。
リンとルカが戻って来るまでの10分足らずの内に、メイコはどこからかワゴン車を調達し、カイトは自分の携帯で電話をかけ続けていた。
クラブハウスの横手に停めたワゴンからメイコが降り立つと同時に、リンが窓辺に駆け寄る。

「この車どうしたの?」
「借りてきたのよ。ミクを迎えに行くのに必要だから」
「迎えに行ってくれるの!?」
「当然よ。あっちにも抗議してやらなきゃいけないしね。カイト、どう?」

ひょいと窓枠を乗り越えたメイコは、リンの頭を撫でてやりながら、カイトの方へと視線を巡らせた。
何件目かの通話を終えて、青い携帯がパチンと閉じられた。

「裏はとれたよ。めーちゃんの推測は大当たり。本社ビルの前で鉢合わせたみたいだね。
ミクちゃんがそいつの車に乗ってるところを見たって、受付の人が教えてくれた」
「あいつにはちんぴらっぽい腰巾着がいた筈だけど」
「そっちも一緒らしい」
「OK。これで、相手も場所もわかったわ」

どんな人脈を駆使したものやら、大学2年生とは思えない情報収集力と行動力だ。
最も、このバイタリティあってこそのサークル活動な訳だが。

「相手って、あのダミ声野郎か。一体誰なんだよ」
「『ジャスティス』シリーズは知ってるでしょ。あれを作ってる会社のプロデューサー。一応は顔見知りよ」
「『ジャスティス』のプロデューサー!?」
「形だけね。元はアイドル部門の担当らしいんだけど、自分の好み優先の悪質なスカウト……要するにナンパ紛いのことを繰り返して苦情が殺到。ほぼ降格扱い で特撮部門に異動になったようなヤツよ。ジャスティスシリーズは監督からスタッフから、枠組みがきっちりしてるから、あんなのが上に据えられてもなんとか やって行けてるみたい。で、ハブられて面白くないあいつは、自分の趣味に走ってるわけ」
「そんなヤツがミクちゃんに目ぇつけたの!? そんで、リン達の『レオネス』に穴あけようとしてるの!?」

悲鳴に近い声を出したリンの肩に、ルカがそっと手を置いた。

「あいつの携帯番号はわかるの。これみよがしに名刺貰ったから。とにかく電話して、今からミクを迎えに行くって言ってやるわ。あの子も不安がってる筈だもの」

ミクからの電話は、状況確認のために未だ切られていない。漏れ聞こえてくる声の様子では、場所を移動した様子はなかった。
奇しくも台本と同じく「街中で敵の襲撃に遭ったミク隊員」は、持ち前の愛想の良さで会話を繋いでいるようだった。
メイコは例の黒いノートを見ながら、部室に引いてある電話機のボタンをプッシュする。
その姿を心配そうにみつめるリンに、オレは近付いて声をかけた。

「大丈夫だって。めーこが迎えに行くって言ってんだし」
「そうだよ、リンちゃん。向こうだって大事にはしたくない筈だ。きっと大人しく……」
「どういうことですか!?」

大きな声に、全員がメイコの方を振り返った。
一瞬の激昂からすぐさま我に返ったメイコは、紅茶色の瞳でオレ達に目配せし、唇の前で人差し指をたてて見せた。
その指が、電話のスピーカフォンボタンを押す。
途端、明瞭さと同じだけ不愉快さを増したダミ声が、威圧的にがなり立てて来た。

「どういうことも何も、こっちは仕事の話してるんだ。子供が邪魔しちゃいけないよぉ? こっちは大学生のお遊びとは違うんだから」
「こちらも決して遊びでやっている訳ではありません。第一仕事と仰るなら、初音ミクは本日こちらで撮影を予定していたんです。それを……」
「だーかーらー、ビジネスとしての重要さが違うでしょ!? そっちはたかだかネット放映の自主制作! こっちは地上派で全国放送! ミクちゃんにとって どっちがメリットあると思う? 自分の利益になる方を優先させるのは当然だよね? 甘っちょろいこと言ってるんじゃないよ」
「……とにかく、今日のところは初音ミクをこちらへ帰して頂けないでしょうか。迎えに参りますから」
「迎え?迎えねぇ、いいよ来てみれば? どこに来るつもりか知らないけど、来られるもんならな!」

嘲笑を最後に通話は切れた。
静まりかえった室内の空気が帯電している。発生源はここにいる全員だ。
子供という言葉にオレは口元を歪め、お遊びという表現にリンが目を吊り上げ、たかだかネット放映の自主制作という下りでルカの眉間に皺が寄った。
「来るなら来いだってさ」と呟くカイトの声が硬い。

「……あの撮影所には何度か足を運んでてね」

恐ろしく低い声でメイコが語り始めた。受話器を握りしめた手が戦慄いている。
当たり前だ。ダミ声野郎はオレ達を全否定した挙げ句、ミクを解放するつもりも更々無いらしいのだから。

「本社の方と交渉を重ねて、やっと使わせて貰えることになって。下見を兼ねてミクを連れて行ったら、あのダミ声野郎がしゃしゃり出て来たの。
うちに来い、オレが育ててやるって勧誘し続けて、上の人に窘められる始末よ」

典型的なクリエイター気取りのダメ人間なわけだ。そんな奴に『レオネス』を馬鹿にされたのか。

「その帰り道で、あたしミクに言っちゃったの。あんな人でも、借りようとしてる場所の責任者には違いないんだから、ちゃんと丁寧に接しなきゃって。半分以上は自分に言い聞かせてたんだけど」

ミクはそれを真剣に受け止めすぎちゃったんだわ。
メイコの声に苦さが混じる。
そのプロデューサーとやらと鉢合わせした時、ミクはメイコの言葉を思い出して悩んだのだろう。少なくとも、メイコ本人はそう思っている。
声をかけられて、勧誘話になって、場所を移動しようと言われて、それでも無碍にはできなくて。
自分の態度によっては、撮影所を貸して貰えなくなると思ったのかもしれない。

「行くんだろ、めーちゃん」
「来いって言われたもの。行って差し上げようじゃないのよ。ミクは『レオネス』とあたしの言葉のために、思い切った行動がとれずにいる。なら、波風たてに行くのはあたしの役目よ。そして、嫌な物は嫌と言っていいんだって教えてあげなきゃね」
「オレも行く!」
「リンも! あれだけ言われて黙ってられないもん!」
「わたくしも参ります」

口々に同行を申し出るオレ達の顔を、メイコはしっかり見据えて口を開いた。

「もう、ただ迎えに行って済む問題じゃないわ。アイツはあたし達のことを徹底的に馬鹿にした。活動の邪魔もしてくれた。そしてミクに粘着してる。この先も同じ事を繰り返される可能性が高い。なんらかの形で釘を刺す必要があるわね」

メイコは目を伏せた。暫く後、その瞼が再び開かれ、煌めく瞳が現れる。

「アイツ、ミクがこっそりあたしの携帯にかけてること知らないから調子に乗ってる。あたしが迎えに行こうとしてるのは本社ビルだと思い込んでるのよ。そこに自分はいないから、あたしは手がかりを失って途方に暮れるしかないって」

けれど実際は特撮用の撮影所にいることを、オレ達は既に掴んでいる。

「見てなさいよ。子供のお遊びなんて侮ったこと、後悔させてやるんだから」


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