月明かりに照らされた帰り道。
晩秋の夜道はしんと冷えていたが、メイコが繋いでくれた手が温かかった。
歌いながら進むミクとメイコを見守るように、カイトが後ろを歩く。
メイコとカイトの手にはそれぞれ提灯が握られていた。
紅葉の模様を透かして灯る明かりが柔らかい。

「私一人でも大丈夫なのに」
「送るのはいいけど、帰りは君が一人になるだろう」
「何かあったら駐在さんが来てくれるわよ」
「何かあってからじゃ遅い」
「あの、そう言えば、この町に着いた時にチェックも何も受けなかったんですけど。あれって普通なんですか?」
「そうか、新市街は警備が厳しいんだったわね。うちの方では基本的に、悪さをしない限りは何をしてもお咎めなしなのよ」

その点に関しては、新市街はどうにも堅苦しくて。
肩を竦めながら言うメイコに、ミクは苦笑して頷いた。

「私も、ちょっと息苦しくなったりします」
「息抜きしたくなったらまた来て。せっかくご縁があったんだもの、これからも一緒に歌を歌いたいわ」
「はい! こちらこそ!」
「じゃあ、これをどうぞ」

橋の前で、はい、と手渡されたのはメイコが持っていた提灯だった。

「え、これは・・・・・・?」
「あちらの街は夜でも明るいんでしょうけど。橋を渡る間だけでも使ってね」

悪戯っぽい笑顔。彼女が何を伝えたいのか、ミクにはわかった。

「お借りします。すぐに返しに来ますから!」
「そうして頂戴。楽しみに待ってるわ」

秋の風景 〜一期一会の歌(後編)〜


「あー、ずっりぃ! なんでお前らだけ良いモノ食ってんだよ!」
「これはお茶菓子! 食べたかったらレンもメイコちゃんにお茶点てて貰いなよ」
「だって苦いんだろ、抹茶って」
「苦くないよ美味しいもん! レンのお子ちゃま。一人だけ洋服で仲間外れだし〜」
「お前だって着付けて貰っただけだろ!」
「レン君、メイコさんがおやつに蒸しパンを作ってくれてたんだって。今取りに行ってるよ」
「やっりぃ! さすがメイコ姉!」
「カイト君は? まだ弓道場?」
「母屋に着替えに戻るってさ。もう来るんじゃね?」

双子が揃うと庭が一気に騒がしくなった。
傾き始めた日差しを補うように、明るい声が響き渡る。
そこへ、台所に引っ込んでいたメイコが蒸しパンの盛られた籠を手に戻ってきた。
傍らには人数分の湯呑みを盆に載せたカイトの姿がある。

「あら、賑やかね。レン君、弓道の見学はどうだった?」
「面白かった! カイト兄すげえよ、何本撃ってもビシバシ的に当たってさぁ!」
「百射会ではメイコちゃんのお汁粉にばっかり夢中になって、弓の方なんて全然見てなかったくせに〜」
「お前だって三杯おかわりしてたろ!」
「五杯おかわりしたレンに言われたくないよ!」
「要は二人とも食べ過ぎたってことだよね。おかげでお汁粉が足りなくなって、メイコさんは急遽、けんちん汁を作る羽目になったんだよ」
「「うっ」」
「そのけんちん汁も、大半がリンちゃんとレン君のお腹に・・・・・・」
「うわぁぁぁごめんなさい〜!」
「だって美味かったんだよ〜!」

ミクが追い打ちをかけると、双子は揃って耳を塞いでしゃがみこんだ。
その頭にメイコがぽん、と手を置いて笑う。

「お褒めに預かり光栄の至りね。食べ盛りのお二人さん、こちらもどうぞ」
「「いただきまぁす!」」

本当に反省しているのかどうか、双子は差し出された蒸しパンに飛びついた。
「喉に詰まるよ」と笑って、カイトが湯呑みを手渡す。
ミクも受け取ってみると、中身は焙じ茶だった。これならレンも飲めるだろう。

「あー、でも弓道いいなぁ! 俺もやろうかな」
「レンがきゅうどぉぉ? 集中力ゼロのくせに?」
「っせぇ! なぁカイト兄、俺に弓道教えてよ!」
「うん? そうだなぁ」

カイトは片膝をつき、その掌を目を輝かせる少年の前に翳した。
「左手で拳をつくって押してごらん」と言われ、レンはその通りにする。
力を込め、体重もかけているようだが、カイトの手は最初の位置から動かない。

「でぇぇぇぇぇい!」
「はは、気合いは十分だな。・・・・・・はい、お終い」
「っだー、びくともしねぇ! カイト兄、これ何? テスト?」
「まぁ似たような物かな。今の様子だと、弓を引くのは難しそうだね。引く途中で矢を弾いたりしても危険だ。まずは腕の力をつけないと」
「うえぇやっぱり? 今すぐは撃てねーんだぁ・・・・・・。なぁカイト兄、実践で腕力鍛えるのってナシ?」

あ、今の発言は地雷っぽい。ミクは思わず身構えた。
カイトは基本を蔑ろにするような言動を快く思わないだろう。
怒鳴ったりはしないにしても、レンへの態度が硬くなるかもしれない。
横目でメイコを見ると、彼女は「大丈夫よ」と言うように頷いた。
カイトは片膝をついたまま、レンの瞳を見据えて語りかける。

「坊、君が弓を始めたら、傍で見ていてくれる誰かがいるんじゃないかな」
「ええと・・・・・・いる」
「君はその人に怪我をさせたり、その人の目の前で自分が怪我をしたりしても平気か」

静かな問いかけ。
決して追い詰めようとする風ではない言葉に、レンは暫く考え込む。
質問への答えを考えているのではなく、自分がカイトに申し出たことの意味を省みているのが分かる沈黙だった。

「・・・・・・平気じゃない、です。ごめんカイト兄。俺が間違ってた」

うん、と満足そうに頷き、カイトはレンの頭を撫でた。





「カイトさん、なんか雰囲気変わりましたよね」

台所でメイコと二人、お茶の道具を片付けながらミクは呟いた。
「わかる?」と嬉しそうに、カイトにとっての“傍で見守ってくれる誰か”が肯定する。

「以前だったら、レン君があんな風に言ったら、そこでお話が終わってたように思うんです」
「そうね。きっと苦笑いして、じゃあ僕には教えられないよって言ってたでしょうね」
「でも、今はあんな風に一歩踏み込んで諭してくれるんだなぁって・・・・・・それに、このお茶碗も」

丁寧に洗っていた茶碗に目を落とす。
可愛い猫が描かれたそれは、今年の誕生日にカイトから貰った物だ。
普段はメイコの茶道具と一緒に台所の戸棚にしまわれている。
この家でミクが茶を点てて貰う時専用の品として。

「メイコさんだけじゃなく、カイトさんにも居場所を貰った気がします」
「カイト、何か言ってた?」
「・・・・・・ええと」

メイコに伝えてしまっていいものか悩む。
この茶碗をくれた時、カイトは「僕はね、初音さん、多分君に嫉妬していたんだと思う」と言ったのだ。
そして更に「君だけじゃなくて、鏡音の坊と嬢やにも」と続けた。
彼がミク達に嫉妬していたのなら、その原因はメイコ以外にありえない。
メイコの関心を奪っていく存在に苛立っていたというカイト。
彼女自身は、カイトからその言葉を聞いたのだろうか。

「あの、メイコさんは、カイトさんが色々悩んでたのご存知ですよね」
「ええ」
「具体的に何をどう悩んでたのかについては・・・・・・」
「はっきりとは訊いてないけれど、貴女達との関わり方についてじゃないのかしら。かなり長い間困惑してたわ」

物腰柔らかく見えて、案外人見知りする性格だったみたいね。
おかしそうに笑うメイコに、ミクは頭を抱えたくなった。
彼女の推測は大筋で間違ってはいない。本人に何も訊かずに悩みの内容を理解できるあたりは流石だと思う。思うけれど。

(いっちばん肝心な部分に気付けてないですメイコさん・・・・・・!)

これはカイトが焦れるわけだ。
彼の悩みの本質は、ミク達との関わりではなく、ミク達の出現によって変化したメイコとの関わりについてなのに。

(つまり、根本的な部分は解決してない・・・・・・どころか当事者の片方は気付いてすらいないのね)

それも無理はないのかもしれない。
何せ悩んでいた本人すら、自分が何に引っかかっているのか分かっていなかったらしいのだ。
嫉妬という、カイトにはあまりにも似つかわしくない言葉。
その表現に驚いたミクに、彼は自分の気持ちをできるだけ正確に伝えようとしてくれた。

---嫉妬ですか? カイトさんが?
---うん、今思えばそうなんだ。君達がメイコの前に現れてから、僕はずっと何かに苛立っていた。
---君達と会うのはそう頻繁じゃないし、メイコが僕だけの傍にいてくれたらその苛立ちもすぐに消えてしまったから、長いことそれが何なのかさえ分からなかったんだ。
---でも、気付いたし、わかった。そのままにしたくないと思ったんだ。
---だからね、これを受け取って欲しい。それで、このお碗を僕達の家に置いてくれないか。
---お茶が飲みたくなったらうちに来て欲しいんだ。
---きっとメイコが喜ぶし、僕もそれを喜べるようになりたいから。

真面目で穏やかなカイトの中に、嫉妬という感情があることに驚いた。
それ以上に、正直な胸の内を教えてくれたことが嬉しかった。
心を開いて貰えたように感じたし、メイコも同じように思ったらしい。

---知ってる? カイト、以前は貴女達のことを訊かれると“メイコの友達です”って言ってたの。でも最近は“僕達の歌仲間です”って答えるのよ。

そう教えてくれたメイコ。
僕達、という言葉で自分とカイトが一括りにされていることに気付いているのかいないのか。
その辺りのことを確認してみたい気もするが。

(カイトさんが伝えてないんだったら、私から言うわけにいかないしなぁ)

そもそも、カイトのメイコに対する気持ちをはっきり聞いたわけではないのだ。

「ううん、と。社交辞令じゃない“いつでも遊びにおいで”を言ってもらいました」
「ああ成程。今まで一線を引いてた分、歩み寄ろうということかしら。カイトの悩みは、そういう形で決着がついたのね」
「・・・・・・メイコさんにとっては、カイトさんが何に悩んでたのかよりも、悩みが解決したこと自体が重要なんですね」
「それはそうよ。何に躓いているにしろ、カイトはそれを乗り越えられるって分かってるもの。それに、彼の内面のことだから。無闇に踏み込んではいけないでしょう?」

カイトさんはむしろそれを望んでると思いますよ。
その一言を飲み込んで、ミクは深々と溜息を吐いた。





夕飯の下拵えをするから先に戻っていてと言われ、お茶のおかわりを持って庭に出た。
赤く色付いた紅葉のそばで双子が遊んでいる。どうやら竹トンボを飛ばそうと躍起になっているらしい。
その竹トンボの作成者は縁台に腰を下ろし、小刀で竹を削っていた。

「メイコは?」
「お夕飯の仕込みだそうです。大したことないからって、先に戻されました」
「二人分だからね」

付け加えて、献立自体が去年ほど豪華ではないらしい。
昼間の集まりが主体だからとメイコが言っていた。
一年前のことを踏まえて夕食は辞退したが、却って裏目に出たような気もする。

「君達が夕食前に帰るのは、何か用事が?」
「そういう訳じゃないんですけど」

馬に蹴られそうだと思って、とは言えず、ミクは黙って湯呑みをカイトに渡した。
本当は、今日という日にこの家に来るのも躊躇いを覚えた程なのだが。

(実際、どうなのかな)

メイコを独り占めしたいと思っていたというカイト。
その独占欲が何に起因するものなのか確かめたい。
単なる寂しさか。それとも、もっと別の---ミクが考えている通りの感情なのか。

(後者だったら、はっきり答えて貰えないかもしれないけど)

意を決したミクは彼の隣に座り、視線を双子に向けたまま口を開いた。

「メイコさんって、愛情を無差別かつ無尽蔵に振りまく人ですよね」
「ああ」
「その癖、自分が愛されることについては無関心ですよね」
「そうだね」
「そういう人を特別な意味で好きになると大変ですよね」
「すごく大変だよ」

そこは「大変だろうね」と他人事のような返事になると思っていたのに。
メイコのことが特別に好きだとあっさり肯定されてしまった。
未開の森に踏み入るような気持ちでいたミクは、肩すかしを食らう形になって目を見開く。
そんなミクに向かって、カイトは面白がるような顔で言葉を続けた。

「ほんの少し家を空けてる間に新しい友達を作ってたり、一日掛かりで弓を引いて労って貰えるかと思えば元気な子供達の世話にかかりきりになってたり、庭に出たら通りすがりの男に声を掛けられて仲良く談笑してたり」
「その浮気されたみたいな表現やめてください」

ミクは強気で抗議した。
二人の関係の根底には、やっぱりそういう気持ちがあったんじゃないか、と思う。
カイトの本心は分かった。ミクも、もう遠慮はしない。

「まあ、責められる立場でもないからね」
「責められる立場になってないことがおかしいんです。初対面の時、お二人はそういう関係だと思って慌てまくった私のドキドキを返してください」
「そう言えば神威さんにも同じ勘違いをされたよ」
「ものすごーく生意気なことを申し上げますがカイトさん。早とちりしたのは私やがくぽさんですけど、間違ってるのはカイトさんの方だと思います」
「・・・・・・一言もない」

じっとりと睨むと、カイトは情けない笑みを作ってみせた。
そういう表情でミクの奔放な物言いを受け容れてくれる理由には想像がつく。
彼はメイコとの関係に変化をもたらすつもりでいるのだろう---あるいは、もう行動に移しているのかもしれない。

「メイコさんが一番愛情を傾けてる相手は、カイトさんだと思いますよ」

背中を押すような気持ちで客観的な意見を伝えてみると、カイトは「まさしくそこが問題なんだ」と嘆息した。

「何をしても、何もしなくても、彼女の僕に対する愛情は変わらないんだよ」
「変わらないんですか? 何をしても?」
「そう。見放されて減ることもないし、増やそうと思って独占することもできない」

確かに、とミクは思った。
メイコが周囲の人間に注ぐ愛情の量は基本的に平等なのだ。
誰かの分が減れば自分の分け前が増えるような物ではない。
自分が一番愛されて見えるのは、単に共に過ごす時間が長いから---もしかしたら、カイトはそんな風に考えているのかもしれない。

「私がカイトさんだったら、八方塞がり過ぎて泣いてます」
「正直な話、少し前まで僕もそういう気分だったよ」

でも、もう決めたから。
小刀を脇に置いて、静かな口調で彼は言う。

「彼女がずっと傍にいて、愛情を注いでくれることに変わりはない。それで満足できないなら、今度は僕が踏み込んでいくしかないんだ」

ぱきん、と音がして、カイトが削っていた竹の板が組み合わさった。
ほぞ組のみで仕上げたらしいトンボの模型を検分する真摯な瞳。
その視線が、こちらへ歩み寄って来る櫨の葉色の女性を捉えた。
彼女に向かって微笑みかけながらの、静かな宣言がミクの耳に届く。

「愛情の量は変わらないけど、質は変えてみせるよ」

今、すごく良いことを聞いた。
快哉を叫びたい気持ちでメイコを見上げると、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「どうしたの、ミクちゃん。そんなに瞳をきらきらさせて。顔も赤いわよ? 何か楽しいお話?」
「いや、もう何て言うか・・・あああ、私の口からは言えません!」
「ええ? カイト、一体何なの?」
「何だろうね。所信表明かな。決起集会かもしれない」
「なあに、それ。悪巧みでもしてた?」
「悪巧みじゃなくて、作戦会議です!」
「あら、何について? 私は教えて貰えないのかしら」
「知りたいですか、メイコさん!」
「ええ、まあ」
「知りたいそうですよ、カイトさん!」

畳みかけて言質をとったミクは、カイトに向かってビシ! と親指を立てる。
彼はおかしそうに喉で笑い、「そうか、本人が知りたいなら要望に応えないとな」と呟いた。
はい? と更に困惑した様子のメイコの手をとると、カイトはその指先に先程完成したトンボを乗せる。
大きく羽を広げた竹製のトンボは、その口先だけで細い指にとまっている---まるで接吻するように。

「そのうち、ゆっくり教えるよ。・・・・・・誕生日おめでとう、メイコ」
「ありがとう。良く分からないけど、楽しみにしているわ」

ふわりと目元を和ませたメイコの姿は、とても幸せそうで、はっとする程綺麗だった。





送って行くと言ってくれたのを断り、三人で帰り道を辿る。
お萩が入っているという重箱をめいめいが片手に提げて。
初めて出会った日の提灯に始まり、メイコは毎回“返しに来なくてはならない物”を持たせてくれる。
そうやって、あの家を訪ねる口実を作ってくれるのだ。
ミクが気兼ねしなくなってからも続いている、こそばゆい暗黙の了解だった。

「確認です。私達の手にはお重が計三つあります。そのうち、私達が食べて良いのは?」
「一つだけでーす」
「残りの二つは?」
「一つはがっくん宛てでーす」
「もう一つは役所に差し入れでーす。・・・ってか、何で役所?」
「お上との黒い繋がり・・・まさか賄賂!?」
「中身はお萩じゃなくて、黄金色のモナカか!?」

悪ノリを始めた双子を振り返ってミクは溜息をついた。
隣に侍姿の同業者が越して来て以来、この二人は時代劇にはまっているらしい。

「役所の皆さんの大半は、もともと旧市街出身なの。それに、リンちゃんとレン君も、あながち無関係じゃないんだよ?」
「えー、リンはお上に逆らうような真似はしてないよ?」
「俺だってお天道様に胸張って生きてるぜ、ミク姉!」
「はいはい。良いから、二人は出納主任さんにお重を届けること!」
「だから何で出納主任?」
「俺たち面識ないよな?」
「あるの。百射会の時、二人の食べっぷりに感心してお餅を分けてくれた人がいたでしょ。あれが主任さん」
「・・・面が割れてるらしいよ」
「神妙にお縄につくか・・・」

本当に、この二人は。
笑いを堪えきれずに肩を振るわせたミクは、双子の手に握られている竹トンボに気が付いた。

「あ、カイトさんの竹トンボ、貰ってきたんだ」
「うん! 飛ばすの練習するんだ〜」
「メイコ姉が貰ってたトンボも良かったよな。一点でバランスとってさ」
「ミクちゃん知ってる? トンボって武士に人気があったんだよ」
「え? 聞いたことないなぁ」
「お前、それってこの間見たクイズ番組の受け売りだろ」
「なになに? 私見てないから教えて」

侍について仕入れた知識を披露したくて仕方がないのだろう。
リンはわざわざ立ち止まり、胸を張って答えた。

「トンボはね、前にしか進まない生き物なんだって。だから、決して退かない精神にアヤカってたんだってさ!」

今度はミクが立ち止まる番だった。
危うく落としそうになった重箱を、慌てて持ち直す。

「? どしたのミクちゃん」
「顔赤いぞ、ミク姉?」
「いやもう・・・・・・時間差でやられちゃった」

カイトがメイコに例のトンボを渡した後、ミクはあの場を離れた。
双子と一緒に竹トンボを飛ばしながら横目で伺った二人は、隣り合って座っていて。
その手の小指だけが、そっと重ねられていたのを見た。

(あれが今日最後の赤面だと思ってたのに・・・・・・!)

「だからどうしたのってばぁ!」
「何ニヤケてんだよ?」
「なんでもなーいのっ!」

歌うように返事をして、足取りも軽く歩き出す。
今日は良い日だな、と改めて思う。
メイコが生まれた日。
メイコと出会った日。
絶対に退かないというカイトの決意を知った日。
一年前、泣きたい気持ちで歩いた道も、今はどこか優しく見える。
仲間と一緒に、お土産を持って、昇り始めた月に見守られて。
誰かと出会って、影響しあって、嬉しい気持ちが膨らんでいく日。

(とりあえず、全力でカイトさんを応援しよう)

他人が思うような形ではないにしろ、あの二人が強く深く結びついていることは確かだ。
カイトが幸せなら、それはそのままメイコの幸せに繋がるに違いない。
いつでも会いに来てねと言ってくれたメイコ。
あの家にミクの居場所を作ってくれたカイト。
ミクにとって、二人との出会いはかけがえのない幸福だった。
あの二人にとってのミクも、そういう存在になれるように。

(まずはメイコさんの意識改革だ!)

重箱を持っていない方の拳を固く握りしめて、ミクは力強く足を踏み出した。

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