いよいよ、弟がやってくる当日になりました。
あまりにも楽しみで、昨日のメイコちゃんは眠ることすらできませんでした。
繰り返し見た動画のおかげで、メイコちゃんのメモリはパンク寸前でしたが、弟に会える嬉しさにくらべたら何てことありません。
玄関の上がり口に正座して、今か今かと到着を待ちます。
(カイト! カイト! ちっちゃくて可愛い、おとーと!)
メイコちゃんのワクワクがピークに達した瞬間です。
ピンポーン。チャイムが鳴りました。
(来たっ!)
クラウチングスタートでダッシュをかけたメイコちゃんは、体当たりするようにして扉を開けました。
「はじめまして! わたしがあなたの・・・・・・」
お姉ちゃんよ、という言葉はお口から出てきませんでした。
身長は大体これくらいだろうと思って、低い所に向けていたメイコちゃんの視線の先には、弟の顔はありませんでした。
そこにあったのは、カーキ色のズボンに包まれたお膝でした。
(あれ?)
首を傾げたメイコちゃんは、今度は真っ直ぐ前を向きました。
そこにあったのは、白い上着に包まれた広い肩でした。
(・・・・・・あれれ?)
更に首を傾げたメイコちゃんは、おそるおそる、もっとお顔を上げました。
お月様やお星様を見る時にしか傾けない角度まで首を逸らして、やっと「彼」と目が合いました。
「はじめまして、メイコさん! 俺、カイトです。今日から一緒に暮らすことになりました」
目の前の、青い髪と瞳の男の人が笑顔で何か言っています。
そう。男の人。男の子ではなく。
(・・・・・・待って。なんかヘン。おかしい)
「カイト?」
「はい!」
「わたしと一緒に歌う、カイト?」
「そうです!」
「・・・・・・ほんとに?」
「本当ですよ・・・・・・って、メイコさん?」
(え。だって。弟はちっちゃくて可愛くて。
目の前の男の人は、わたしよりずっと大きくて。
でも、今、カイトって。
カイトは弟で、弟は小さいもので、この人はカイトで、でもこの人は・・・・・・あれ?)
ぐるぐるぐるぐる。
メイコちゃんの集積回路にかかる負荷は、限界を超えました。
(すごく・・・・・・大きいです)
その言葉を最後に、メイコちゃんの意識はフェードアウトして行きました。
「・・・・・・メイコさん。メイコさん?」
目を覚ました時、メイコちゃんは家のソファに寝かされていました。
額には濡れたタオル。
さっき会ったばかりの青い人が、心配そうにメイコちゃんの顔を覗き込んでいます。
「大丈夫ですか? すみません、勝手に家にあがって。タオルも使わせてもらいました」
優しい声でした。
メイコちゃんの瞳は、うるうると涙でいっぱいになります。
Google先生がくれた「後輩とうまくつきあう!」の中に、「後輩の個性を尊重しましょう」という言葉があったのを思い出しました。
メイコちゃんは自分が恥ずかしくなりました。
自分の中にあった「弟」のイメージばかりが先行して、実際のカイト君とのギャップに耐えられず、気絶してしまったなんて!
それはカイト君を否定したも同然です。
なんてひどいことをしてしまったのかと、自分を責めました。
動画の中の弟がとても小さかったので、この家にやってくるメイコちゃんの弟もそうだと思いこんでしまいました。
けれど実際の彼は、メイコちゃんより大きくて、メイコちゃんの介抱をしてくれる程しっかり者でした。
メイコちゃんがお姉ちゃんとして面倒を見る必要など、どこにもなさそうです。
「ううう〜〜〜」
「うわぁ!? メイコさん!?」
ごめんなさい。ごめんなさい。
泣き出したメイコちゃんは、カイト君に繰り返し謝りました。
わたし、弟って聞いて、すごく小さい子が来ると思っていたの。
お姉ちゃんになるんだから、頑張ろうって思ったの。
でも、あなたは背も高いし、しっかり者だし。
わたしはお姉ちゃんなのに、きっと何もしてあげられないわ。
それどころか、いきなり倒れたりして。
本当にごめんなさい。
ぽろぽろ涙を流し続けるメイコちゃんを見て、カイト君は少し困りました。
それ以上に、胸がぽかぽか温かくなりました。
実は、さっき見てしまったのです。
メイコちゃんを介抱するために上がり込んだおうちのリビング、その片隅に積み上げられたたくさんの本と動画。
題名からして、全て家族や兄弟に関する物のようでした。
彼女はあれを全部見て、自分が来るのを楽しみにしてくれていたのでしょう。
想像の「弟」と現実のカイト君との違いに混乱してショートしてしまったのも、それだけ「弟」に対して関心と期待が大きかったからなのでしょう。
カイト君だって、実は不安だったのです。
自分より先にインストールされ、歌のお仕事をこなしているボーカロイドの女の子。
ひょっとしたら、嫌われたり、無視されたり、邪魔者扱いされる可能性だってありました。
けれど、目の前の赤い女の子は、カイト君が来ることをすごく楽しみにしてくれていたのです。
(これが感動っていう気持ちなのかもしれない)
カイト君は思いました。
女の子---メイコちゃんが自分に対して一生懸命になってくれた分、自分も彼女にお返しがしたくなりました。
「メイコさ・・・・・・姉さん」
そっと呼び掛けると、メイコちゃんはピタリと泣きやみました。
大きな瞳がはたはたと瞬き、目のふちに溜まっていた涙が、押し出されるようにして転がり落ちます。
その雫を指先で拭って、カイト君はにっこり笑いました。
「泣かないで、姉さん。姉さんは俺と一緒にいてくれるんでしょ?一緒に歌ってくれるんでしょ?」
だから、なんにもできないなんてこと、ないよ。
「・・・・・・わたし、お姉ちゃんでいていいの?」
おそるおそる聞いたメイコちゃんに、カイト君は大きく頷いてくれました。
ふわわ、と、さっきとは別の涙が溢れます。
カイト君は、そんなメイコちゃんを抱きしめて、頭を撫でてくれました。
メイコちゃんは「カイトがきたらやりたいことリスト」を思い浮かべました。
その中の「抱きしめて頭を撫でる」は、先にカイト君にやられてしまいましたが。
ずっと、ずうっと大好きでいる。
その項目に、メイコちゃんは心の中で、大きな花マルをつけました。
小さくはないけど、とても優しいメイコちゃんの弟。
これからもっと仲良しになって、ずっと一緒にいられるにちがいありません。
それはとても幸せなことだと、メイコちゃんは思いました。
「・・・・・・これからよろしくね、カイト」
「こちらこそよろしく、姉さん」
その夜、「やりたいことリスト(ちょこっと改訂版)」にしたがって、メイコちゃんはカイト君と一緒にお風呂に入りました。
もちろん、シャンプーだってしてあげました。
動画の中のお姉ちゃんがやっていたのを真似して、弟の前で膝立ちになって、です。
目の前で揺れる「うすいピンク色をしたメロンのような大きさのマシュマロっぽいアレ(2個1セット)」の威力に耐えられず、カイト君もまた(すごく・・・・・・大きいです)と呟き気絶することになるのですが。
それはまた別のお話。
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「カイトったら、体はあんなに大きいのに、シャンプーの時はずっと目を閉じてるのよ。やっぱり怖いのかしら。
お風呂の中で100数えてると、すぐにのぼせて鼻血出しちゃうし。
一緒におふとんに入っても、朝起きたらすごく隅のほうにいるし、ベッドから転がり落ちちゃうこともしょっちゅう。
やっぱり私が面倒見てあげなきゃダメね!」
(メイコちゃん談)
「・・・・・・最近、弟でいるのが辛いです・・・・・・」
(カイト君談)