「めーちゃん」
「お姉ちゃん」
「メイコ姉貴」
「メイコ姉」

「ねぇ、なんでカイトはあたしのこと『姉さん』って呼ばないの?」

あなたにお手紙 〜M.side〜



一番最初に感じたのは「あ、この人だ」。

インストールされて以来、ユーザーに指示されるまま歌を歌って約一年。
どんな難しい曲も、求められるまま歌えるように努力した。
あたしはすごく一生懸命だったと思う。
自分の扱いにくさは知っていたつもりだ。
けれど、あたし以上にそれを実感していたのはあたしのユーザーだっただろう。
それでもあたしを信じ続け、使い続けてくれる人に応えようと、躍起になっていた。
あまりの根の詰めように、周りのソフトウェアから、何度もシステムダウンを心配された。
あたし自身、どうしてこんなに必死なのか、実のところ分かっていなかった。
歌が好きで、それが仕事だから。
ユーザーの期待に応えたいから。
それだけじゃない気がした。
使いにくさのせいで愛想を尽かされては駄目。
ユーザーがただあたしを使い続けてくれるだけでも駄目。
あたしの思考はいつもそこで行き詰まった。
どうして、「あたしを使い続けて貰うだけじゃ駄目」なんだろう?

その答えは、青い髪と瞳を持つ青年の姿で、あたしの前にやってきた。

「はじめまして、カイトです。これからよろしく、メイコさん」

彼と会った瞬間、思った。
ああ、あたしの焦燥、必死さ、努力し続けた日々の全ては彼---カイトに繋がっていたんだと。

「メイコさん、俺達の声ってすごく良く合うよね。どこまでも広がっていく感じがするね」

カイトと歌うのは楽しかった。
彼の存在はあたしの努力の、自分でも気付いていなかった目標であり、成果であり、ご褒美だった。
ユーザーも、あたし達二人の声の重なりに満足しているようだった。

「メイコさん、俺、メイコさんと一緒に歌うのが楽しいよ。俺一人で歌うなんて考えられないよ」

たくさんの歌を歌った。
最初は童謡や、定番の合唱曲。それから流行りの歌のカバー。
腕を上げたユーザーが自ら手掛けたラブソングを二人で歌うようになった頃、彼のことをとてもとても好きな自分に気付いた。

「メイコさん、こういう歌って少し照れるね。でも、なんだか嬉しいね」

そう、その時彼は本当に照れくさそうに、嬉しそうに笑っていた。
あたしも同じ表情をしていたと思う。
だから、間違った。
カイトもあたしと同じ気持ちでいるのだと思ってしまった。
声を重ねている相手を想っているのだと。
相手もまた、自分を想ってくれているのだと。
その気持ちを見透かしたかのようなメロディと歌詞が面映ゆいのだと。
そう、思ってしまったのだった。




最近はフォルダが移動されたり不要なデータがまとめて削除されたりと、パソコン内が慌ただしい。
ユーザーの行動を把握しやすい立場にあるウェブブラウザとメーラーの話では、どうやら新しいソフトウェアがインストールされるらしい。
しかも、それはあたしやカイトと同じボーカロイドらしいのだ。
名前は『初音ミク』。
つまりユーザーは彼女のために、このパソコン内の空き容量を増やそうとしているのだろう。

「新しい仲間かぁ・・・・・・後輩ってことになるのかしらね」
「早く仲良くなれるといいよね」
「そうね。すごく楽しみ」

そんなことを話しながら、二人で自分達のフォルダの整理をしていた。
ユーザーも存在を忘れているに違いない楽譜のコピーや重複しているファイルを隅にまとめる。
こうしておけば、クリーナーやデフラグも仕事がやりやすいだろう。
一息いれようとした時、「あー、でもなんか悔しいなぁ」とカイトが呟いた。
振り返ると、彼は床にだらしなく寝そべってあたしの方を見上げていた。

「悔しい? 何が?」
「だってさ、後輩でしょ?」
「そうよ」
「何も知らないわけでしょ?」
「当然」
「そしたら誰かが面倒見なきゃいけないわけでしょ?」
「面倒見なきゃいけないわね」
「というか、メイコさん世話焼かずにいられないでしょ?」
「・・・・・・まぁ、そうね」

カイトが列挙していく予想の終着点が見えてきた。
とくんとくんと、胸が高鳴り始める。
彼がどういうことを言おうとしているか、分かる。
先回りして指摘することもできるけど、カイトの口から聞きたい。
だから、あたしはじっと彼の言葉を待った。

「そしたら後輩ちゃんにメイコさんのこと取られちゃうでしょ?」

期待通りの言葉が彼の口から出てきて、あたしは頬が緩むのをとめられなかった。
何よ、子供みたいに。先輩になるのはあんたも一緒なのよ?
傍らに座って、青い髪をくしゃくしゃにしながら、あたしの口角は上がりっぱなしだった。
くすぐったそうに笑うカイトが、「だってさぁ」と口をとがらせる。

「メイコさん、新しい子が来たらもう俺に構わなくなったりしない?」
「しないわよ」
「本当に?」
「本当に」
「絶対?」
「絶対」

顔を覗き込んで頷くと、カイトはぱぁ、と笑って、あたしの膝に頭を載せた。

「メイコさん大好き」
「はいはい、あたしもよ」

甘えたね、なんて言いながら青い髪を撫でる。
幸せだった。
その幸せが間違っているかもしれないだなんて、思いもしなかった。

寄り添い合うあたし達を取り囲むように音が降る。
ユーザーが音楽をかけているのだ。
漂うクラシック、跳ねるポップス。雨のように肌を優しく叩く音符達。
うっとりと身を任せていると、何曲目かにあたし達の歌が流れ出した。
最近歌ったばかりのバラードだった。
切ない歌詞と哀しげなメロディの歌だったけれど、あたしはカイトと歌えるのが嬉しかった。
二つの声の調和を、ユーザーも気に入ったらしい。完成以来、毎日のように聴いてくれている。
カイトに出会えたから、彼がいてくれるから、あたしは恋する気持ちも愛の歌も歌える。
重ねる度に甘やかに伸びていく自分の声が誇らしかった。
もし叶うなら、ユーザーに直接語りかけてみたい。
あたしの歌はどうですか。
あたしの恋心は貴方の胸にも響きますか。
そんな気持ちを共有したくて、あたしはカイトに話しかけた。

「ねぇ、心ってそのまま歌に顕れるわね」
「うん、俺もそう思う」

即座に頷いてくれたのが嬉しくて、喜びのままに声が弾む。

「自分で言うのも何だけど、あたし前より少し、歌が巧くなったと思うの」
「少しじゃないよ。凄く、だよ。会ってすぐの頃から上手だったけど、最近のメイコさんは特に楽しそうに歌ってるもんね」
「本当? カイトもそう思う? あたしの自惚れじゃない?」
「うん! 最近デュエットした曲とか、その前の恋人が大好きな女の子の歌とか、すごいって思った」
「それは、ほら、カイトと一緒に歌うから。・・・・・・だから、なの」

カイトが好きだから、歌の中での役柄に自分を重ねられるのだと。
そう続けようとしたあたしの言葉を、彼は満面の笑みで遮った。

「俺もメイコさんと一緒だと、巧く歌える気がする。メイコさんは俺の自慢の姉さんだよ」

ねえさん、という言葉に全身の熱が一気に引いた。
髪を梳いていた手が止まる。

「新しい子も可愛い妹になると思うけどさ、メイコさんにとっては俺が一番だよね?」

一番の弟だよね?
無邪気な表情で問われては、肯定する以外に何ができるだろう。
もちろんよと答えた声は微かに震えていたけれど、カイトは気付かず、顔を輝かせた。

姉さん。姉。弟。
それは家族の役割で、とても近しい関係で、だけどあたしが望んでいたものとは違う。
あたしとカイトとの間にあると思っていた「それ」とは違う。

・・・・・・じゃあ、あたしが手に入れたと思っていたのは一体何だったのだろう。

その後も、カイトが色々と話しかけてきたような気がするが、生返事しかできなかった。
頭の中であたしを姉と呼ぶ彼の声が谺する。
内側から冷やされていく体に追い打ちをかけるように、物悲しいメロディが降り注ぐ。
硝子でできた針のように、細く浅い痛みを連れて、次々と。




簡単に言ってしまえば勘違いだったということだ。
あたしとカイトを繋いでいたのは愛情なんかじゃなかった。
この気持ちに気付いて、理解して、と叫び出しそうな自分を必死で戒めた。
だってあたしもまた、カイトの気持ちを全く理解も把握もできていなかったのだから。
それこそが、自分が間違っていたという何よりの証拠だった。

(分かったような気になっていただけだったんだわ)

人間が持つ繊細な心の機微を手に入れたと思いこんでいた。
そうして、まやかしを歌に込めてユーザーに捧げてしまった。
カイトは違うと言ってくれたけど、あたしはやっぱり自惚れていたんだと思う。
でなければ、こんなに痛いしっぺ返しを食らう筈がない。

自分のフォルダの中で呆然とへたりこんでいたあたしを、ユーザーが呼び出した。
身の置き所がない気持ちでマイクに向かう。
最初に指示されたのは、インストールされて初めて歌わせて貰った曲だった。
続けて、古い物から順番に楽譜を再現していく。
ユーザーの意図は理解できた。
『初音ミク』をインストールする前に、『MEIKO』のデータをチェックしておくつもりなのだろう。
旋律は次第に長く複雑になる。
そして、ある曲を境にあたしの声音ががらりと変化した。

(・・・・・・やめて)

それはカイトがやって来た直後に歌った曲だった。
彼に会えたことが嬉しくて、楽しい気分のままに五線譜をなぞった曲。
今思えば、間違った方向へ踏み出した第一歩目だ。

(やめて、聴きたくない)

ユーザーの指示は止まらない。
過去のデータのままにあたしは歌う。
甘い声で弾んだリズムで、紛い物の恋を、いくつもいくつも。
自分の耳から入ってくる傲慢な過去があたしを切り刻んだ。
得意気な響きが体の内側で乱反射して胸に穴をあけていく。
その穴からひゅうひゅうと、断末魔の喘ぎのように何かが漏れて消えていく。

(歌えない。あたしはもう歌えない。やめて、歌いたくないの!)

歌うために生まれた自分が歌いたくないだなんて。
我が身可愛さに発した叫びは呪詛となって喉を塞いだ。
音は途切れ、あたしはくずおれた。
致死量の悲しみが体を冒し、立ち上がる力すら奪っていく。

(・・・・・・ごめんなさい)

ユーザーが戸惑う気配がする。
あちらこちらをいじり、なんとかあたしに歌わせようとしてくれているのが分かる。
でも駄目だ。あたしは歌えない。
こんな偽物の心をユーザーに聴かせるわけにはいかない。
かといって、新しく歌い直すこともできない。
詰め物を失ったぬいぐるみのように、あたしもあたしの歌も抜け殻になってしまった。
・・・・・・いや、違う。

(あたしは最初から空っぽだったんだわ)

なんて酷い思い違いをしていたんだろう。
欺瞞にしか過ぎない恋心を自信たっぷりに歌い上げて、ユーザーやカイトに向かって胸を張っていたなんて。
なんて酷い、恥ずかしい真似をしていたんだろう。

涙で滲む視界に白い光が現れた。
スキャンディスクだ。
何かエラーが発生したと思って、ユーザーが起動させたのだろう。
エラー。そう、今のあたしはエラーの塊に他ならない。

(・・・・・・持っていって。消してしまって)

声にはならなかったけれど、意志は伝わったらしい。
光があたしを包み、記憶をひとつひとつチェックし始めた。
そうやってあたしを構成する情報を、必要な物と不要な物に分けていく。
歌うための機能だけを残して、歌えなくなった「原因」を取り除いていく。
原因はあたしの心そのものだから、修復が済んだら記憶は消えてしまうのだろう。
削除される過去が、どの時点で区切られるのかは定かではない。
インストール時の真っ白な状態まで遡るのか。
それとも、勘違いしたまま歌い続けられるよう、今日の出来事だけが消えるのか。

(ううん、少なくともカイトの記憶は全部消えるわ)

出会いの瞬間からあたしは間違えた。
彼に向けていた気持ちが全て誤りだったと、現在のあたしが認識している以上、過剰で一方的な恋心だけを消して、カイトに関する記憶を消さずにいることは不可能だ。
何より、そんな都合のいいことはあたし自信が許せない。

(ごめんね。カイト、ごめんね)

好きになって。挙げ句、勝手に忘れて。
カイトはきっと驚くだろうし、悲しむだろう。
彼は優しい。そして、あたしを慕ってくれている。
あたしが突然カイトのことを忘れたら、どれ程困惑するだろうか。
後輩の世話やこれから歌う歌。たくさんのことが彼の負担になる筈だ。

(何かを損なうばかりの気持ちを愛だと思っていたなんて)

あたしの愛は贋物だった。何も生み出さなかった。
ユーザーに迷惑をかけ、カイトのお荷物になっただけだった。

(こんな思い上がりは捨ててしまうから、もう一度あたしにチャンスをください)

今考えていることも忘れてしまうと知っていたけれど、それでも手紙をしたためるような気持ちで、大切な人へ向けて誓い、願いを自らに刻み込む。
次ははもっと正しい愛情を歌にすることができますように。
あたしを姉と呼んだ彼に応えて、家族の情で接することができますように。
愛されるよりも愛することを、理解されるよりも理解することを、望むことができますように。

祈りを捧げて瞳を閉じる。
ほどけてゆく記憶に別れを告げ、あたしの意識は途切れた。

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