夢の風景(中編)

夢を見たんです、とミクは言った。
メイコは彼女の長い髪を優しく撫でながら、ぽつりぽつりと呟かれる言葉に耳を傾ける。
時折控えめな相槌をうちながら。

二人が腰掛けているのは、すっかり定位置となった縁側の、特に日当たりのいい場所だった。
正確には、腰掛けているのはメイコ一人で、ミクは茜色の着物に包まれた膝に頭を預けて横になっているのだが。

明け方に様子を見に行った時、悪夢に魘されて泣いていたミク。
今になってやっと眠気が戻ってきたらしい彼女に膝を貸して、浅い眠りの合間に語られる夢の話に耳を傾ける。
空は気持ち良く晴れて風もなく、こうして屋外にいても寒さは感じない。
二人寄り添っていれば尚更だ。
温かな日差しの中で語るなら、悪夢の恐ろしさもすぐに溶け去ってくれるだろう。

「そこはすごく寒くて暗くて、私の他には誰もいない場所でした。ううん、あれは私じゃなかった。私はあの夢の中の世界に住んでいる誰かになっていて、“どうしてここはこんなにも変わってしまったんだろう、前はもっと優しい場所だった筈なのに”、そんな風に感じていたんです」

すごく怖かった。
思い出すだけでも恐ろしいというように、ミクの声が揺らぐ。

「夢から覚めてほっとしました。でもそれと一緒に、申し訳ない気持ちになって……怯えていた誰かを夢の中に置き去りにして、私だけ逃げてきてしまったみたいで」

罪悪感に煽られてか、可愛らしい声に涙の気配が漂っている。

「------夢の中で、あの人はまだ震えているのかもしれない。私のところにメイコさんが来てくれたみたいに、誰かに見つけて貰えたかな、そうだったらいいなって……」

膝の上で小さな雨降り。
ミクは優しく、他人の痛みに対して誠実な少女だ。例え夢の中の出来事であったとしても自分を責めてしまう。
その真摯さが愛おしい。

「泣かないで、ミクちゃん」

メイコは励ますように小さな手を包み、子守歌の柔らかさで囁きかけた。
心優しい少女が、今度こそ安らかに眠れるように。

「泣かないで。ミクちゃんが祈ってくれたのなら、その願いはきっと叶うから。夢の中の誰かさんも、今はきっと幸せでいるわ」

夢の風景(中編)

「ただいまー! メイコちゃん、喉渇いた!」
「走るな叫ぶな、ミク姉寝てるだろ!」
「あぁっ、そうだった」

裏戸が開く音をかき消す勢いで、元気な声が響く。
間を置かず顔を出したのはリンで、母屋の角から恐る恐るこちらを覗き、すぐに笑顔になって駆け寄ってきた。

「良かった、ミクちゃん起きてた。ごめんね、大っきな声出しちゃって」

その言葉通り、ミクはすでにメイコの膝の上から身を起こしていた。
魘された夢の内容を吐き出し、僅かな間とは言え良く眠れたらしい。
少し目蓋が腫れぼったいが、それもすぐに引くだろう。
だいぶ血色の良くなった顔で、リンと、続いて戻ってきたレンに向かって、「ううん、いいの」とはにかむように笑った。

「二人とも汗だくね」

希望された通り、ぬる目の焙じ茶を差し出しながらメイコは言った。
双子の額には汗が滲み、頬は薔薇色に上気している。
いくら良い陽気とは言え、生半可な運動量でここまではなるまい。

「うん、すっごく走ったの!」
「すっごく走らなきゃ上がらなかったんだもんな、凧」

「リンは下手過ぎなんだよ」と言う片割れに、白いリボンが「レンだってカイト君に散々手伝って貰ってた癖に!」と食ってかかる。

「二人とも、喧嘩しちゃ駄目だよ」

ね、仲良くしよう?
双子の手を片方ずつ握ってミクが言う。その姿は、すっかり普段通りの彼女だった。
はぁい、と返事をする素直で可愛い子供達。
夢中で茶を飲む姿が微笑ましく、メイコはリンの髪をかき上げ、扇子で風を送る。

朝食の席で眠そうにしていたミクを気遣い、カイトが双子を家から連れ出したのは、数時間前のことだった。
河原で凧あげをすると言って出て行ったのだが、随分長いこと遊んでいたものだ。
余程楽しかったのだろう、今度は自分達でも作ろうよ紙には絵を描いて、と目を輝かせている。

「そうだ、カイト君がね、一息ついたら裏においでって」
「また竹トンボ作ってくれたんだってさ」

双子が言う裏とは弓道場のある辺りのことだ。
庭木や池などの障害物がなく、家の敷地内で遊ぶならあの場所が一番適しているだろう。
湯飲みを置いたミクの手をリンが引っ張り、「ミクちゃんも行こうよ」と誘う。

「でも私、竹トンボは上手く飛ばせなくて……」
「大丈夫だよ、今度の竹トンボ、紐で引っ張って飛ばす仕掛けになってるんだって」
「紐を引くだけだから、飛ばしやすいってさ」
「そうなの? じゃあ、やってみようかな。メイコさんも行きましょうよ」

三人の視線が期待を込めて注がれた。
残念だけど、とメイコは首を振る。

「私はお昼の支度があるから遠慮するわ。ご飯が出来るまで遊んでいらっしゃいね」

ええ、と一斉にあがる不満の声。
手伝いますと申し出るミクに、もう一度首を振り、肩を軽く叩いて縁側から立ち上がらせた。
「三人で遊ぶって、昨日リンちゃんやレン君と約束してたでしょう」と言って。

「カイトも待ってると思うわ。行ってあげて」

そう促したが、子供達はお互いの顔を見合わせたまま、その場を動こうとしない。
メイコは苦笑して、三人の目を覗き込みながら口を開いた。

「ねぇ、どうして私やカイトが皆に玩具を作ったり食事を用意したりするか分かる?」
「親切だからだろ?」
「優しいからでしょ?」
「ううん、実はもっと別の理由があるの」

ミク達は一様に首を傾げた。
その頭を順番に撫でてメイコは言う。

「例えば、こうして皆の頭を撫でるでしょう。そうしたら、何故か自分の方が頭を撫でて貰っているような気になるのよ。お話を聞いている時はこちらが喋っているように思えるし、あなた達が遊ぶ声を聞いていると、まるで私もそこにいるみたい。カイトもきっと同じように感じているんだわ」

メイコもカイトも子供だった時間を持ち合わせていない。
無条件に庇護し、甘えさせてくれるような存在もいなかった。
それを辛いと考えたことはない。
けれど今、目の前の子供達を見ているとどうしようもなく胸が騒ぐのだ。
愛おしいやら危なっかしいやら、いつでも傍にいたいし目を離したくない。守りたい。
心の赴くままに小さな温もりを抱きしめて、そして思う。
まるで自分こそが抱きしめられ、守られているようだと。
別々の場所で生きる自分達は、そうやって繋がっているのだと。

「だから、遠慮せずにうんと遊んできてちょうだい。皆が楽しければ、私も三人分楽しくなれるのよ。ね?」

微笑むメイコの視線の先で、双子が互いに頷き合い、それぞれの手を伸ばした。
二つの手のひらは、ぽん、とメイコの頭の上へ。
思いも寄らぬ行動に、思わず目を瞠る。

「メイコちゃんの言いたいことはわかった! だけど!」
「撫でられる気分になるだけじゃなくて、実際に撫でられてもいいと思う!」
「だから、そういう時は言ってね! あたし達がいるからね!」
「というわけで、メイコ姉の分まで遊んでくる! 以上!」

くるりと回れ右をして走り去る後ろ姿を、ぽかんとしたまま見送った。
呆けたメイコの耳朶を、長い髪がさらりと滑る音がくすぐる。
ミクに抱きしめられていると気付いたのは一瞬後のことだ。

「私も、います」

囁きはごく短く。
ミクはすぐに身を離し、そして遠ざかった体温を補って余りある力強さで宣言した。

「メイコさんが泣きたい時は、私が傍にいます。メイコさんが私にしてくれたみたいに。もし私に無理なら、その時は祈ります。誰かメイコさんの為に走って。メイコさんを一人にしないで、って」

照れたように笑ったミクの緑色の髪が翻り、双子を追って走り出す。
その背中に向かい、メイコは静かに語りかけた。

「……ありがとう。その祈りは必ず届くわ」

だって私は知っているもの、と。

 

 

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